水色日記

~家族関係でメンタルをこじらせた私のお話~

良い子に見せている私が悪い

まじめだねってよく言われるようになった。

頑張り屋だねっても言われる。

 

まじめで頑張り屋の良い子の私、私はとても嫌い。

 

当たり前のように暴力を受けていたあの頃の私はまじめだった。だけどそれがおかしいことに気がついたときに、良い子の私を辞めるって決めた。勉強で母親に認めてもらうのは私には無理なことが分かって、その時に大好きだった歌に逃げて歌で認めてもらいたがっていた。気がついたら音高を卒業して音大に入っていた。小学校の時から部活で合唱をしていた。学区内の中学が強豪校だったので母親に勧められた中学受験は断って公立中に進学した。

1年生の夏、部員の約半数が落ちる大会のメンバー決めのオーディションに受かった。そのあたりから両親の暴力はなくなっていった。やっと認められた気がしてうれしかったが、親の暴力が異常だと気付き始めていた私は、本当に私が親にとって出来ない子供だったから殴られていた事実を突きつけられた気がした。

高校時代、私は問題行動を起こしても親にいちいち連絡がいかないことを知って好き勝手していた。馬鹿で有名な高校だったからアホな先生と衝突したこともあって問題児と言われたが、間違った事は言ってなかったつもりだし、音楽のことだけはまじめになってしまう性格だった。だから愛情を注いでくれる先生や心配してくれる先生が沢山居た。歌があれば私は認めてもらえるし居場所も見つけることが出来てしまった。

 

話がそれたが、大学でまじめだねって言われたり頑張り屋だねって言われたりするとあんなに認めてもらいたかった私だったが、今ではまじめに見えたり頑張り屋に見えるアピールをしている私が悪いと考えるようになっていった。ある程度認められたい感情が埋まったから次の贅沢を求めているのかもしれない。自分に自信を持っている人間が苦手で、そんなやつの演奏にいまいち価値を見出せない。謙虚is正義。褒められると自分もそんな風に見えていると思うとぞっとするのだ。でも謙虚な自分かっこいいと思っている人間も嫌いだからここが難しい。過去の自慢話をブログに載せちゃうあたり、もろ私すごいでしょアピールだよね、ごめんなさい。本当はどうしようも無いクズなんです。

 

でも昨日の夜ふと布団の中で思った。去年、学校の定期試験で1位を取った時に色々な先生に褒められた事を思い出したのだ。1位を取ったことは何も悪くないしカンニングしたわけでも誰かに1位取ります宣言をしたわけじゃ無いし、思いがけず取れた結果で別に私って性格悪くないじゃん、優れていることは悪いことでもないし逆に劣っていることも悪いことでもない。ちょっと脳みそがゆがんでいたのかもしれない事に気が付いた。それよりもアホ高の1位なんて全然誇れないんだけど。

 

そんな浮かれている私だけど、しょっちゅう自分の才能の無さが嫌になる。求めているレベルが高いんだよって言われるけど、限界なんてどこにも無いんだからいつまでも追い求めるしかない。音楽も生き方も一生勉強。完璧なんてどこにもない、正解がありそうで実はどこにもない。自分で分かってる、気が合う人とだけ関わっていけば良いって事も、何も悪くないけど気が合わない人間関係もあるって事を。

 

頭では分かっているけど感覚として無いんだよね。もう家族を恨む気持ちは無いし、学校の先生に沢山かわいがってもらってきたけど、本当は母親に認められたい気持ちがまだあるんじゃ無いかと指摘された。生きていくと言うことが、自分の価値を見いだすことだと、生きていることがとても苦しくなってしまうらしい。じゃあどうすりゃ良いんだ。