水色日記

~家族関係でメンタルをこじらせた私のお話~

教員免許の話1

私は中高の音楽の第1種教員免許状の取得を目指しています。

 

でも、教員免許状って簡単には取れないんですよ。

なのになんで糞みたいな教師が沢山いるのか。

 

それは、今より簡単に取れたから。

それでも当時はとても大変だと思いながら教職課程を取っていたと、大学の教職の先生からお聞きしました。

その先生の時代から、教職の必修が倍近くに増えています。

来年大学入学を迎える方からはさらに増えます。

 

本の学校の先生は、多少学問がおろそかでもクラスをまとめる力や人間性が良ければ悪い教師と言われることはあまりありません。

海外ではあり得ない話ですけどね。

道徳が教科になり通知表に評価が書かれるようになります。

 

確かに家庭では学べない社会性などを身につけるために学校という場があるのは理解できますが、道徳科目の負担を増やさないといけなくなってしまう社会になってしまった事がよく分かります。

 

教職の授業は雰囲気が全然違います。厳しい。

それに耐えられないならまず教師は無理。

それは分かっているけれども、自分の専門領域の理解や指導法について考え、自分の受け持ったクラス全員の心や社会性を見て、いじめがないか気をつけて、時には生徒の思い話をしっかり受け止め、多忙な業務をこなし、、、。

もっと大変な事は沢山あると思います。

 

なかなかこんな事をこなせる人間はいないように思うのは私だけですかね。

子供の教育の責任を取るのは学校だけですかね。

こんなに知識を詰め込んで忙しく生きても教師は体調を壊さないものなのでしょうか。

 

文句を沢山言ってしまいましたが、教職課程は教員にならなくても学ぶことが多いです。人間として成長させて貰えるような。

過去の自分と重ねて改めて物事を考えたり、過去の自分の気持ちに気付けたり。

教育って大人になれば誰もがやることだけど、本当に奥が深い。

教科書って実は奥が深かったりする。

 

音大生からするとなんでもない曲が奥深かったり。

私たちは生まれたときから専攻が決まっているような人もいるので、学び方は狭くて深いのが基本ですが、歌もピアノも楽器も指揮も音楽史も色々理解しなきゃいけないから、色々な分野に挑戦する。すると意外と楽しくなったりして。

私も来年から専門の先生に師事して邦楽の勉強をしようと思ってます。

 

音大生からすると、教職課程を履修するのは2つの大学を掛け持ちしているような気分です。

だけど、それでも私は教員免許を取りたいし演奏家にもなりたい。

人間性も専門性もどちらかを優先する事はやっぱり出来ないから頑張りたい。

 

大人が子供にどれだけの影響を与えるかを痛いほど知っているから。

これからの人生も生きていくなら、大人として専門性を持ち胸をはって子供に教育出来る大人になりたいです。