自分のための人生
これまでの人生、色々と悩んで来たはずなのに何を考えていたかなんて案外覚えていない事に気が付いて己の脳みそに絶望した。
過去の記事を読んで、あぁそんなこと思っていたのか、あの時はこういう体調だったのか、と知ることになる。
目の前の苦しさにしか興味がないのか、いやそんな事ないと思うが。
私の脳みその容量が少ないから、こうしてインターネットに限られた語彙力でバックアップしていくしかないのだと思う。
記憶の整理整頓が下手くそなのでいつまで経っても前に進めないのだろう。
PDSDになっているというわけではないが、過去の記憶をきちんと整理できていないという自覚はある。あまり触れられたくないと思っていることにようやく気が付いた。
家庭でも、学校でも、音楽でも、色々苦しかった事があった。だけど、人生ずっと辛かったから19年分の辛さを全て整理するのは膨大な時間と労力がかかるだろう。
それに、今だって暇なわけじゃない。
夏休みだから授業やレッスンは無いし、極限まで予定は入れないように心がけているから、ダラダラ過ごす事は出来ているけど、コンクールが近い。
後期のために準備しておかなきゃいけないことだってある。
そして、4月からの4ヶ月間で少しずつぶっ壊れた体調を、病院にもいけないので自力でなんとかしてあげなきゃいけない。
そうするとやっぱり気は休まるわけがない。
半年くらい人生の休みが欲しい
— 水色 (@mizuiro_xx) 2018年8月13日
カウンセラーに、「物心ついた頃から奮闘してきたのだから、ゆっくり羽を伸ばしたら遠くまで飛べるようになると思いますよ」と言われ、ずっと自分は怠けていると言い続けた私も確かにそうかもなぁと思うようになった。
7月の終わり頃の私はもう動けなくなっていた。身体が重くて、頭は働かない。何をすれば良いのか、やるべき事をこなすにはどんな行動をするべきなのか、お腹を満たすには何を食べれば良いのか、分からなくなっていた。しまいにはアイスすら食べられないくらい食欲がなくなった。
本番をなんとか乗り切りつつ、ダラダラ過ごしたこの2週間のおかげで脳みそは動くようになった。少しだけ前より食べられるようになった。
驚いたのは過去の私に同情してあげられる自分がいた。
私は親もいるし学費も払って貰って少ないけど生活費も毎月貰っているし、辛いなんて言ってはいけないと思っていたみたい。だけど本当はずっと辛かったよね。
カウンセラーという職業は凄いと思った。病院を勧められるくらいおかしかくて、ぼーっとしていて何が何だかよく分らなかった状態の私に刺さる言葉を下さった。
自分のための人生なんだよ、自分のために生きていいんだよ
ハッとした。生きていることで私自身が迷惑だから死にたいと思っていたが、自分のために生きている心地が無かった。
親が無理矢理勉強させてくるのが嫌で音楽に逃げ、学校なんて苦痛で仕方なかったのに、学校を休んだら部活の居場所もあげないって先生が言うから無理矢理学校に行って、周りが音高音大に行けって言うからそうした。先生がやれって言うから課題に取り組み、とらなきゃいけない授業があるから大学に行き、自分をどんどん壊していった。
やりたいことなんて何もないし、独り暮らしなのに家事も気力が無くて出来ないし、なんなら呼吸だって面倒で忘れることもある。
言われた順番は逆になるがもう一つ刺さった言葉がある。
死んじゃったらやだ、お願いだから死なないで
駄々こねているように見えると思うが、私も大人が駄々こねているようにしか見えなかった。最初は驚いて苦笑いし素直に分かりましたと言えた訳じゃないけど、初めて言われたから後々嬉しくなった。
母親に私なんかいなきゃ良かったと言ったときは、そんなこと言われるなら産まなきゃよかったと言われたし、中学時代は教師に死にたいなら死ねと言われ、生きてることも許されないのに死にたいと思うことまで私が悪いからだと言われ、どうしたら良いのか全く分からなかった。
どんな理由でも良い、一生懸命死なないでって仰って下さった先生に感謝してる。
一生メンヘラなんて嫌だと思って助けを求めてはいたが、ぶっちゃけ無事に卒業したらあと自殺しようと思っている。でも卒業すら自力では難しそうだから頼ろうと思っていて、他はあんまり期待していなかった。
だけど夏休みになっても気にかけて連絡してくださったり、本気で心配して下さっていて嬉しかった。
私の少ない語彙力で辛さを理解出来る人なんてどこにもいなかったけど、一生懸命分かろうとしてくれて私が思っている以上にそれは辛いって感じて下さる。
ありがとうって思った。それと同時に助けて欲しいって思った。
どうかこんなキモい文章がご本人に届きませんように。笑
絶対に次も来てねって言われて約束したから9月になったらちゃんと行きます。