水色日記

~家族関係でメンタルをこじらせた私のお話~

死にたいのに生きている

お久しぶりです。試験や本番や実習に追われていたらあっという間に夏休みが終わりに近づいていました。25曲の課題はまだ触っていません。

 

たびたび死にたいと言い過ぎてたまにたたかれたりするのですが、自分でもなぜここまで死にたいのに生きているのか分かっていません。今は学生生活が終わってある程度周りと縁を切ってから死のうと思っています。何故なのか、周りのことを考えてしまってなかなか死ねずにいます。中学生の時は部活に精神を支配されすぎて、本番に穴をあけてはいけないという思いだけで生き延びてきました。確かにあの時は頑張っていたけど、今思えばそこまで頑張らなくても良かったのかなぁと思ったりもします。

何度かこのブログでも書いているような気はするのですが、1度だけ死ぬ気でODしたことがあってその時はあまりの苦しさに生きたいと思いました。もう意味が分からなかったです。でもその時以外、今は死ななくても良いかなと思えるくらい調子が良かったことはあっても生きていたいという気持ちにはなれていないです。

 

なんで自殺が良くないことなのか、どうして世の中は自殺者を助けるという名目でむりやり生かそうとするのか、私には分からないです。どうして知らない人に生きてなんて無責任な事を言えるのか。本気で死にたい奴の気持ちが分かるならそんなこと言えないのでは無いのかと。

でも、友達が死のうとしていたら私は止めてしまうと思う。自分が死ぬことも全く怖くないとは言えないけど、友達が自殺するのはとっても怖い。死んで救われようとするか、生きて救われようとするか。治療法の無い病気とは異なって、自殺という行動を起こさなければ救える命だからこそ、本来の寿命まで命を使い切って欲しいという人間の本能なのかもしれない。だから私が死ぬときはみんなに忘れられてたった一人で死にたい。

 

どうしても生きている事が苦痛で、朝が来ると今日も生きてしまったと思ってしまう。死にたいと思うのは脳の異常だって言われるけど、ずっとこの死にたい気持ちと生きてきたから大事にしてあげたいと思ってしまう。でもどこかで死ぬことがけしてポジティブな選択ではないと分かっている自分がいるから生きている。

もう成人したし、学生ではあるけど親から離れて生きているからもう私だけの人生だし、親も腐った大人とも関わらなくても生きていけることを知ったし、心地よい人間関係しか私の周りには無いのだけど、それでも生きていく気になれないほどの人生だったのだと思う。最近少しだけ過去の自分が本当に頑張っていたのだと思えるようになった。だから安心して死んで良いって思うことにしている。

 

普通になりたい気持ちもある。少しでも生きていく気になれるように、部屋を片付けたり、親には禁止されていたちょっとした贅沢をしてみたり、これでも努力をしているつもりではあると思う。生きていきたい気持ちも無いのに。そのおかげか、死にた過ぎて泣く夜は減ったしフラッシュバックのような状態に陥ってSNSに死にたいと書くことも減ってきているはず。

 

だから死にたいと言っていてもそっとして欲しいです。

私が自殺を選んだとしてもそれは誰のせいでもないです。

もちろん私のせいでもないです。