水色日記

~家族関係でメンタルをこじらせた私のお話~

閉鎖病棟退院日記

みなさんごきげんよう

本日無事に精神科の入院から退院して参りましたので、忘れないうちに記録を残そうと思います。

 

まず私、入院するまで閉鎖って知りませんでした!!ふざけんな!!!

閉鎖病棟はいろんな不便さがありましたが、あまり書いてしまうと病院の特定につながってしまうと思うので免除します。

 

辛かった5日間隔離

コロナ対策で入院してから五日間はシャワー以外病室から出られないという生活が待っていました。携帯も午前と午後に30分ずつだけでゲームも没収。何もする気力がないのに暇を持て余すことが苦手な私は3日目くらいまで「帰りたい、、」と大泣きしていました。看護師さんごめんなさい。。

転機がありました

泣いてばかりの入院スタート、入院前よりも状態が悪くなったように感じていました。もう2度とこんなところに行くもんかと、私を入院させた全ての人を恨みました。

主治医には何かの不安が押し殺されて入院の不安として現れていると思うと言われていましたが、それが分かったのが5日目のシャワー帰りでした。同じ病棟の患者さんに声をかけていただき、「よろしくね」と言われたことがきっかけでした。あぁ、私はここにいてもいいって誰かに認めてもらいたかった、それは現実世界でも同じだった、主治医が言っていたことが少し理解できるようになった瞬間でした。

7日目朝、隔離解除

本当に嬉しかったです。初めて声をかけてくださった患者さんともゆっくり話せました。その流れで同年代の患者さんとも知り合うことができました。もうここからの入院生活は本当に楽しかったです。帰りたくなくなったくらいには。

最初は怖かった主治医、良い人でした

後から分かったのですが、お互いに第一印象は最悪でした笑

それでも毎日1時間、親身に話を聞いてくださる主治医でした。医者と患者という枠組みで守られているからこそ腹を割って話せるような、そんな関係でした。

私はいつも何か辛い場面に遭遇すると耐えてしまう癖がある、耐えるんじゃなくて解決しようと試行錯誤していくんだよって言われたのが一番心に落ちていきました。でもずっと耐えてきた自分にもよくがんばったね、きっと僕には想像出来ないくらいの辛さがあったんだと思うよって言ってくれました。

もう一つ印象に残ったのは、私は小学生の時に無理矢理勉強をさせられることで耐えるということを学んでしまったから、集中して勉強する習慣が身に付かなかったし、鬱で余計に集中力が下がっているということでした。教員免許も持っていて大学院にも進学したのに、未だに勉強するという行為を克服出来ないでいた私にはとても手がかりになる言葉でした。毎日ほんの少しでいいから勉強して、もう怖くないんだってことを身体に覚えさせていくのがいいと聞いたので、少しずつ頑張ってみたいなと思えました。

「耐える」ということから自分を解放していくことが大きな手がかりになるということを学べただけでも入院した意味があったなと感じています。

そして、精神科医でも死んじゃいけない理由はわからないし、自分が生きている意味もわからないと言っていて安心しました。医者でもわからないことが私にわかる訳が無い。でも頑張って生きていくことに魅力があると言っていたので、私も人生の魅力を自分のものにできるような努力を重ねていきたいなと、死にたいながら思いました。

精神科医としっかり話してみるってかなり良い体験だったなと思います。

 

私はクリニックの紹介で別病院に入院し、退院後はクリニックの外来に戻ることになったので、この主治医とは約1週間でお別れでした。退院療養計画書には素っ気無いながらも主治医からの最後の言葉があったので大事にしたいと思います。

 

不本意ながらの入院でしたが、結果入院して良かったです。

もう2度と閉鎖病棟に戻らないように、時々入院生活を振り返りながら前進したいです。

 

とにかく1週間強でメンタル叩き直してきた私偉すぎ!!!