水色日記

~家族関係でメンタルをこじらせた私のお話~

虐待の話

5歳の頃から、母親はとてもきつい人間になっていった。毎日起きた瞬間から怒鳴られて、泣きながら家を出て、学校に着く頃になんとか泣き止んで、家に帰ってきたらまた泣く。そんな毎日を過ごしていた。妹にはとても優しかった。

 

私は人より行動がワンテンポ遅かったらしい。水泳の時の着替えはいつも一番最後だった。運動が苦手でどんくさくて、少し普通に馴染めていなかったような気がする。母親から受け継いでしまったのか、性格もキツい。頭の良い生徒だと学校は思っていたらしいが、母親が求めるレベルまで勉強はできなかった。

 

私にはなんの価値もなくて、親に認めてもらえそうな才能もなくて、沢山殴られて、体を持ち上げては床に叩きつられる。一番嫌だったのは階段の一番上に引きずられ、突き落とされることだった。今でも階段を降りているときにふと落ちる感覚がするときがある。足にアザがない友達が意味わからないと思った。先生と2者面談の時に、「あなた絶対何か悩み事があるでしょ」と言われても、何のことかわからず、「大丈夫です」と言うしかなかった。今だからわかるけど、当時の私は明らかにサイズの小さい服を着せられ、男の子の格好だった事もあったし、遊びの誘いも母親がいつも断るので友達には距離を置かれていた。担任が普通の人間だったら、そりゃ心配の1つや2つはあっただろう。大学生になり、小学校ぶりに私服で登校するようになった今でも服を買うほどの生活費は無いけど。

 

ある日、とうとう怒りが抑えられなくなった私は壁に爪をたてて「ばか」と書いた。次の日、私は母親に首を絞められた。もうこれで終わりだと思った。本当に怖くて怖くてたまらなかったのは一生忘れられない。まだ私は小学校2年生だった。

 

親に相談や弱音を吐いたことは無かったが、何度か「私なんていなきゃ良かった」と言いながら大泣きしたときがあった。そしたら「あんたなんか産まなきゃ良かった。こんな子供は私の子供では無い」と大きな声で怒鳴られた。ショックだった。その日から死にたいと思うようになった。

 

100点のテストをもらって、今日は褒められるかもしれないと思って家に帰った。嬉しそうに母親にテストを見せたら、こんな簡単なテストで消しゴムを使っているのはあり得ないと激怒された。夏休みのある日、私に漢字を覚えさせようと母親は「少しでも考えたり消しゴムを使ったらその問題は間違いと見なし、ノートに練習しなさい」と言い、私が字を書く姿を監視した。私の勉強が終わることは無かった。起きている時間は当たり前だが、寝ても良いと言われて寝ても真夜中の3時頃に起こされて、勉強しなさいと言われ、眠気と大量の涙と戦いながら勉強したこともあった。父親は気の毒そうに小学生の私でも飲めるように砂糖たっぷりのコーヒーをいれてくれた。

 

母親はいつも、第一志望の大学に落ちた悔しさを私にぶつけていたようだ。家から1番近い高校は市内トップ校だった。「頭が悪いと遠くの学校に行かなくてはいけないよ」といつも言われていた。結局高校受験の頃にはすっかり勉強を受け入れられない人間になっていたが、部活には一生懸命取り組んでいた事からそれを生かして特殊な学科の高校に行った。片道2時間だった。結局私は第一志望の大学に落ちた。今思えば、私に合っている大学を神様が選んでくれたと思っている。妹は中学受験を合格した。

 

小学生の私は、全て私が悪いからこうなっていると思っていた。親の言っていることは全て正しいと思っていた。みんな子供はそうやって育てられていると思ってた。こうして被害者ぶりながら書いているの事に未だに違和感さえ感じる。もっと優しい生活だったのに記憶を書き換えられてしまったような気もする。そんなことけしてないけれど。