水色日記

~家族関係でメンタルをこじらせた私のお話~

虐待死のニュースを見て蘇った記憶

 (過去の事を思い出したのでいつもより理性がない文章です。許して下さい。)

 

普段あまりニュースは見ないのですが、たまたまFacebookを眺めていたときにとある方がシェアしていた結愛ちゃんの虐待死のニュースを見て衝撃を受けました。

news.nicovideo.jp

 

彼女のノートに書かれた文章を読んで心を痛めた人は多かったと思います。

 毎朝4時に一人で起きて、しかも大学ノートに書いていたんですよね。彼女の優秀さがこんな悲しい形で世の中に広まるとは、、。

4時なんて昨日私が寝た時間し(それはそれでダメ)、大学生でさえ自力で起きれなくて単位落とすのに5歳の子がやるなんて、、、悲しすぎる。

 

ママ もうパパとママにいわれなくても しっかりとじぶんから きょうよりかもっと あしたはできるようにするから

もうおねがいゆるして ゆるしてください おねがいします

ほんとうにもうおなじことはしません ゆるして

きのうぜんぜんできなかったことこれまでまいにちやってきたことをなおす

これまでどんだけあほみたいにあそんだか あそぶってあほみたいだからやめる 

もうぜったいぜったいやらないからね ぜったいやくそくします

もう あしたはぜったいやるんだぞとおもって いっしょうけんめいやる やるぞ

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180606-00010023-fnnprimev-soci

 

5歳の私は何をやっていたのかを考えずにはいられませんでした。

ひらがなが読めたかは分かりません。

ピアノは5歳から始めていたので、ト音記号の音符は読めていたかもしれません。

母は妹を妊娠し入院しがちだったため祖父母の家に預けられていた思い出があります。

短い間だったが、祖父母はとても優しかったため子供時代唯一の穏やかな時期だったと今でも覚えています。

 

 

私が衝撃を受けたのは彼女が書いたノートでした。

私が受けた両親からの仕打ちとはかなり程度が違うのは自覚しておりますが、かつての私の気持ちを彼女に代弁されたような気持になりました。

大学生になって私は両親から傷つけられている時に解離したり、事実は覚えていてもその時の気持ちが分からなくなっていたのですが、彼女が思い出させてくれました。

 

 

主に母親によく怒られていましたが、時々父親に暴力を振られていました。両親ともに攻撃して来る時は暴力も暴言も。これは本当に参った。

しかし温かい団らんを求めてはひたすら最善を尽くしていた事を思い出しました。

私はお母さんに怒られないように、怒らせないように完璧を求められていました。

朝はテキパキと行動して、耳の穴と目を開き授業を聞く、テストで100点を取るのは当たり前だから消しゴムを使わないようにする(1文字も間違えないように書く)、勉強をぱぱっと終わらせて家事を手伝い、ご飯をおいしそうに食べて、皿洗いをし、マッサージをしてあげる。

思い出せたのはこのくらいでしたが、仮に出された指示がきちんとこなせたとしても、褒められることはありません。

もっと上の目標を指示されるだけです。頑張ったと思えるわけもない。

これが今になって私自身に悪影響を及ぼしています。

 

本当に怖かったんだと思う。だけど、どうしても家を追い出されるのが、家族と離れるのが怖かった。どんなに怒鳴られても、今度こそは、明日こそはっていつも思っていた。(彼女のノートの1番の共感点)暴力を受けているときはどうか許してほしい、反省をしていることを分かってほしい、苦しいし痛いし1秒でも早くおさまれと祈っていた。

 

こうやって過去を思い出すはやっぱり苦しくて、大学の辛さは相変わらずなのにそれに積み重なってしまいとても苦しくなってしまいました。

でも頑張っても思い出せなかった事が少しわかってきて良かった。

 

おしまい。