水色日記

~家族関係でメンタルをこじらせた私のお話~

1番辛かった時期

それは死にたいで頭がいっぱいだった。死にたいはそのうち死のうに変わっていった。常に脳みそは死にたい死のう死にたいのう死のう死のう…であふれかえっていた。

教室にいると微熱があるような、体は熱いけれどとにかく寒い感覚に襲われた。クラスの人に死ねと言われ異常に反撃した。授業が頭に入るわけも無く、部活の顧問に怒られても何を言われたのかが全く理解出来ず毎日怒られていた。覚えているのはそんなに死にたいなら死ねと言われたことだけ。

 

朝、母親の怒鳴り声で目を覚まし朝が来てしまった絶望と共に、もう今日は休もうと言っている自分とそんなこと出来ないと言っている自分が戦う。でも、とりあえず今日だけ行こうと毎日自分に言い聞かせて起き上がっていた。学校へ行こうとすると足に謎の激痛が走ったが無理矢理歩いた。1度止まったらもう二度と立ち直れない気がして、必死に歩いた。授業中もこの授業が終わったら学校の屋上に登って飛び降りようと毎回言い聞かせていた。自分をだましていた。

 

私自身はとても辛かったが別に不登校では無いし(なりたかったけど)、どんなに頑張っても倒れないし、まだまだ全然余裕な自分が嫌だった。助けを求めたくてもうまく言えなかった。寝ていないアピールをしたが10時間は寝ていたし、食欲も普通にあった。休んで良いと思える病気になりたかった。でも家族には絶対にこの辛さ打ち明けたくない。打ち明けたくないのは甘えだと言われた。

 

自分が辛いことを確かめたくて毎日リストカットをした。でも私は心の傷が浅いから深くは切れなかった。でも痛いことには変わりなくて安心した。その時は切らなきゃと思って切っていたけど後に私は自傷行為にはまっていたのを知った。今でも傷跡は残っているがそれはほんの1部。かまってちゃんな自分が、所詮ファッションメンヘラにしかなれない自分が、とにかく嫌いだった。

 

 

私の中には二人分の性格が存在している気がする。元々居た弱い私と、後に鍛え上げられた強い私。弱い私が苦しんでいるのを強い私が否定している。病んでいるってかっこわるいしダサい、家族が居て当たり前のように学費を払ってもらっていて何が不自由なの、世の中のメンヘラは私なんかよりかなり苦しい生活を居ているのに、馬鹿らしいからこんなのやめなさいって言っている。強い自分が居たからどんなに参ってもなんとかなっているし、逆にそれが私を無理させて弱い私がどんどん生きにくさを抱えることになっている。どうしたらいいのかは私もまだよく分からない。