水色日記

~家族関係でメンタルをこじらせた私のお話~

心療内科・精神科 初診の思い出

8月下旬、遂に病院の門を叩きました。数年悩んで、ようやく母に昼夜逆転を治すために病院に行きたいと伝えました。まだ病院名は明かしていません。
医者は物腰柔らかそうなおじいちゃんで、少しユーモアがあるような先生でした。

 

初診は初めに心理士が悩みをまとめてくれると聞いていましたが、コロナ禍の為なのか最初から医者との面談に。1番悩んでいるのは昼夜逆転していることと伝え、睡眠不足からやる気が出ないことや記憶が飛んでしまうことなどを伝えました。だいたい30分くらい、淡々と症状を聞かれては答えての繰り返しで、診断名は「多分うつ病」との事。私はこの言葉が一番しっくり来ていて、初診から日が経った今でもこの診断の言葉を大切にしています。

 

夏休みのある日のこと、二徹で私は大学に向かおうとしていました。(これを当時は普通だと思っていた)
駅から大学に向かう途中にコンビニに寄ったことまでは覚えているのですが、その次の瞬間私は全く見知らぬ地に居ました。昔からちょくちょく解離の気配はあったのですがここまで酷いのは初めて。Googleマップを使ってもイマイチ自分がどこにいるか把握することが出来ない脳みそのレベル、もう一生元に戻れないのではないかと焦りました。
もう頑張れない、その日の用事をこなした後に(今思えば帰って休めばよかった)大学の医務室に行き事情を説明して先生とお話しました。助けて欲しかった。当たり前だけど病院に行った方が良いと言われ、その日の私はやはり親に打ち明けたく無いため病院には行きたくないと拒否をして帰宅しました。

 

こうして振り返るとツッコミどころ満載なのです。頭の調子が良くない時はまともな判断は出来ないものですね。

 

でも、この医務室の先生とのやりとりでなぜか病院に行こうと思えたのです。親への恐怖よりも現状の辛さが上回り、その親への恐怖心は過去の経験の積み重ねの結果であって、今現在の恐怖ではないことに自然とカウンセリングの中で気付いていっていたこともあると今になって思います。また、友人が何気なくしてくれた気遣いで今の現状を変えたいと思ったりもしていました。色々な要素で私の受診を後押ししてくれた結果なのだと思います。

 

母は私が恐れていた時間を全て無駄にするかのようにあっさりと精神科に行くように言ってきたし、医務室の先生もカウンセラーも友達も、ツイッターで仲良くしてくださっている方にも病院に行けてよかったよと言ってもらえてうれしかったです。

まだしっくりくる薬を模索している途中ですが、昼夜逆転は治って徹夜をする日はまずなくなり私が今まで甘えだと思っていた睡眠の問題は薬で治せるものだったのかと、改めて自己認識の脆さを感じました。

精神科の薬は怖いイメージを持たれがちですが、私は依存性のないとされている薬でもかなり改善されているので(むしろ依存性のあるレンドルミンが全く合わなかったw)精神科医療のことはちゃんと信じようと思います。何より父という精神疾患の大先輩で薬で私たち家族をしっかり養えるくらい社会生活が送れている人がいるので、、。薬で少しでも生きやすくなるなら、体質を薬で調整するのは現代では当たり前だと思うのでもっと理解が進む世の中になっていけばいいなと思います。